尾張の俳人。名は時般(ときつら)。 別号に野有、知雨亭、半掃庵、永言齋、紫隠里、紫紅、半帰庵など。 歌名は暮永、漢詩名は蘿隠、狂歌名は螻丸。 26歳で家督を継ぎ御用人、大番頭、寺社奉行などを勤める、 53歳で隠居を許された後三十数年は俳諧のみならず和歌、 絵画、狂歌など様々な分野に才能を発揮する。 俳諧は貞門派の祖父、父の影響を受け各務支考に師事。 天明3年(1783)没。81才。