洛南店主椎間板ヘルニア闘病日記(1)


2001年2月8日〜23日

月 日 日 記
2月8日 入院
朝9時30分に京都第一日赤病院の受付に到着。
結構入院患者が多いのに驚いた。
部屋は旧館の四人部屋みんないい人ばかりで
よかったが、たった二日でみんな退院してしまう予定とは
三日目には僕が最古参になってしまう。
昼から脊髄に造影剤を打って写真を撮るミエロ検査
である。でもなかなか注射針が脊髄に入らずに10回
ぐらい打ち直される。脂汗が出て死にそうだった。

2月9日 手術
すでにまな板の上の鯉の気分だったので、前日は
ぐっすりと寝られた。
手術は朝の9:00から麻酔が入ったあとの記憶は全くなし、
気がついたら病室のベッドの上、傷口の痛みは麻酔が
まだきいているのか全く感じない。でも、妻からは何度も
同じことを聞いていたよと言われてしまった。
一番辛かったのは寝返りを自分でうてなかったこと。
一時間おきに看護婦さんを呼んで二人がかりで寝返りを
うたしてもらった。看護婦さんごめんなさい。

手術直後
2月10日 3日目
今日はコルセットを付けられた。やっと寝返りが自分で
うてるようになった。寝返りがうてるということがこんなに
幸せなことだと初めて感じる。
連休が入るので歩く練習は13日からと言われていたが
調子がいいので今日から歩行器で歩く練習を始められた。
歩行器がないと腰がガクッとなりそうで怖いけれど、二日間
ベッドで寝たきりの生活だったので今日は自分の足で歩く
ことに感動した。談話室で他の入院患者とも親しくなる。
交通事故ですでに二ヶ月入院している人などさまざま、
この人などあと八ヶ月は入院の予定だ。でも一生懸命
リハビリに励んでおられるのを見るとまたまた感動。

歩行器で歩く練習
2月11日 4日目
昨日で同室のみんなが退院してしまった。本来六人部屋
なのに・・・ 大部屋個室になってしまった。まあ、すぐに
誰か入ってくるだろう。
でもこの病院は増築・改築を重ねているのでまるで
迷路である。歩行器でちょっと遠出をしたら帰りの道が
途中でわからなくなってしまった。
これからはリハビリが仕事の毎日。がんばろう!!!!

2月12日 5日目
今日もまだ大部屋個室状態。気楽だけれどやはりちょっと
寂しい感じ。妻が帰ったあとの夜になるとちょっと不気味さ
も感じる。今日感動したことは一人でトイレで用を足せたこと。
3日目に初めてベッドの中で大きい方をしたときは恥ずかし
くて参った参った。
妻にノートパソコンをもって来てもらったので、今日からメール
チェックができるようになった。夕方に地下の公衆電話に繋いで
みたら、61通もメールが溜まっていた。チェックが大変。
でもその日の内に返事を書いてだした。疲れた。

2月13日 6日目
今日は朝から入院以来始めて髪の毛を洗ってもらった。
洗髪がこんなに気持ちのいいものとは・・・ またまた感動 !!!
浴衣からパジャマに着替えたことも気持ちがよかった。
毎日、妻が看病に来てくれている。こちらも感謝感謝 !!!

2月14日 7日目
今日はついに同室者が入院してきた。80才ぐらいのお爺さん
ちょっと耳が遠いぐらいでまだまだ元気そう。明日ももう一人
入院があるようだ。もうちょっと若い人ならいいのにな。
今入院写真も載せようとがんばってみたがUSBフロッピー
からフラッシュパスを使うとどうしても写真を取り込めない。
普通のフロッピーは読めるのに??? なにかいい方法ないかな?
今日の夕方は娘二人がチョコレートを持って来てくれる予定。
楽しみ楽しみ!!! でもお父さんの分以外にも手作りチョコを作って
いたようなのでちょっと心配も・・・

2月15日 8日目
今日は朝から手術した腰の糸を半分だけ抜糸してもらった。
今はホッチキスみたいなやつで止めてあるようで少し痛かったが
傷跡もきれいにくっついているようなので一安心。
土曜日に残りを抜糸したらあとは火曜日に傷跡の最終チェックのみ、
それからはお風呂に入れるとのこと。調子がよければ来週には
退院の許可がおりそうである。一ヶ月の予定が二週間で退院
できそうでやれやれといったところ。
今日から歩行器なしで歩く許可も下りた。始めはちょっと不安
だったが夕方には安心して歩けるようになる。
でも、今日同室になったおじさんは糖尿病で11年前に右足切断
そして今回また、左足も切断するという。そんな話を聞いていると
僕のヘルニアなんて取るに足りない病気なんだなと感じてしまう。
入院中に知り合ったみんな早く元気になってください。

2月16日 9日目
昨日は病院中で色々なことがあったらしい。朝にはこの旧館の屋上
で酔っ払いが凍死していたらしいし、夜の9:30頃には高価な薬を薬倉庫
から盗み出した泥棒がつかまった。(こっちは今朝の新聞に載っていた。
凍死の話は載ってなかったなー やっぱり病院にとって都合が悪い
からかな???)
今、夜の9:00であるが、僕の病室でも今事件があったばかりである。
今日手術をしたおじいさんがさっき急に起きだしてきた。
僕はびっくりしておじいさんのところに駆け寄って
ここから二人の会話 僕 ; ぼ おじいさん ; お

ぼ 「○○さん。まだ起きたらあかんやんか」
お 「わしな、おしっこに行きたいねんけどな、行こうと思うとおチンチン
   が痛うなりよるねん。」
僕は 「えっ」 と思っておじいさんの足元を見るとなにやら管がおじいさん
のオマタにつながっている。そしてその先はベッドに・・・
痛いはずであるおじいさんのおチンチンには導尿のバルーンの管が
付いたまんま、行こうとするとおチンチンが引っ張られていたのだ。
僕は丁重に事態を説明してベッドに戻ってもらった。

*** 昨夜の追加報告 ***

昨日の夜中は大変だった。昨日のおじいさんが夜中についに起きだして
自分でおチンチンの管を抜いてしまったからさあ大変、ベッドから壁から
血だらけで廊下で発見された。朝まで看護婦詰め所で寝かされていた
らしいが、部屋に帰ってきてから昨日のことを聞いてもなあーんにも覚え
ていない。今晩がまた恐怖である。昨夜は他の病室でも色々とあった
みたいで、昨夜の深夜勤務の看護婦さんはてんやわんやの大騒ぎ。
看護婦という商売も本当に大変だなと思った。

2月17日 10日目
昨日のおじいさんは今日の昼にも点滴の管を抜いてまたベッドを血だらけ
にしてしまった。今晩はついに看護婦詰め所の隣の部屋で寝かされてい
る。まあこちらとしてもこれで安心して寝られるが・・・

今日は朝から館内放送で「玄関ロビーにジュラルミンのケースを置いて
おられる方はご連絡下さい。」と何度も放送している。
なんか変だなと思っているとそのうちに警察のパトカーやら装甲車やらが
やって来た。前の幹線道路は通行止めで車が数珠繋ぎ。警察の爆発物
処理班がそのジュラルミンケースを凍らせて運び出したようである。
玄関ロビーがそんな状態でも入院病棟にはなーんも連絡がなかった。
全く気楽な病院である。今回の爆発物事件も真相はというと、昨日の
夜に何かの修理に来た業者が自分の道具箱を置き忘れていっただけで
あった。でもこの業者今回の件で出入り禁止になるだろうな・・・
さーて明日はどんなことがあるのやら。??? 
2月18日 11日目
今日は珍しく平穏無事な一日だった。ここに書くような面白いことは全くなし。
病院としてはそのほうが安心なんだろうけどちょっと退屈な一日だった。
2月19日 12日目
今日もこれとれいったことはなし。ただ同室の左足切断のおじいさんの手術
が行われた。幸いなことに切断せずにすんだようである。今晩は個室で寝て
いるので詳しいことはわからず。元気ならいいのだが・・・・
この間のおチンチン痛い痛い事件のおじいさんも今日この部屋に帰ってきた。
おじいさんは一日中寝てばっかり。やはりしんどいのだろうか、今晩は安心
して寝られるのか、それともまた・・・・ 前者でありますように。

2月20日 13日目
今日は左足切断予定だったおじいさんがこの部屋に帰ってきた。
元気そうである。でもこのおじいさん信じられないことに手術二日目
で医者から止められているのにもう歩きだしている。
左足は糖尿病で腐ってしまった骨を削られているはずである。
糖尿病も重症になると痛みの感覚がなくなってしまうと
聞いたことがあるが、信じられないことである。普通の人なら痛みで
ウンウンと唸っているはずなのだが・・・・
でも、そんな無理をしてると骨だけでなく肉まで腐ってくるはずである。
「歩いたらあかんで」と言ってもそのときだけは「すんませんなー」
と言うのだがすぐに忘れてしまうようだ、困ったものである。
この文を書いている最中にも義足をはめてどこかに行こうといている。
「△△さん歩いたらあかんで。手術したとこを悪くしたら今度こそ
左足を切断せんならんで。」と言っても「すんませんなー」と言いながら
また出て行っていまった。もう知らんぞー !!!
そう言っている最中に今度はもう一人の「おチンチン痛い痛い事件
のおじいさん」がまた寝ぼけてトイレに行くと言ってベッドから起きてきた。
今、ナースコールで看護婦さんに知らせたところである。
いったいこの部屋はどうなってるねん。
僕は管理人か・・・?? 今 また、別室へ連れて行かれた。
もう勘弁してくれ!!!
ちなみに、僕のほうは順調に回復して今週中に退院予定だが、
今日はちょっと座っていると腰が痛い。やっぱり少し無理をすると
だめみたいである。気を付けなけれぱ。

2月21日 14日目
「おチンチン痛い痛い事件のおじいさん」は今日ついに看護婦
詰め所の近くの四人部屋に移された。報告によるとその部屋でも
また前回と同様の事件をおこしているようである。その部屋の他の
入院患者のみなさんご苦労さまです。
そのおじいさんの代わりに新しい人がこの部屋に入ってきた。
胆石の患者さんで今もその痛みに唸っているよう。僕も尿管結石で
苦しんだことがあるので痛みがわかります。今晩一晩辛いだろうけど
がんばってください。
しかし、この病院の入院患者の多種多様なこと驚くばかりである。
一日中病室で猫のような唸り声を上げているおばあさん。
また一日中看護婦詰め所の受付に座って通る人を眺めているおばあさん。
昼は寝ていて夜になったら起きて徘徊を始めるおじいさん。
このごろ夜に看護婦さんが廊下を走っていると、またあの部屋やな
と大体なにがおこったのかわかるようになってきた。
まったく看護婦さんは一日中気の抜ける時がないほど忙しいだろう。
僕なんか看護婦という仕事に一種のあこがれを持っていたが、血だらけの
重病患者からぼけ老人の下の世話まで、普通のOLなんかに比べたら
仕事量に雲泥の差があると思う。病院の看護婦をもっと増やせという
要求もわかる気がする。

今朝、いつも談話室で一緒になって馬鹿話をしている小島君が足の
再手術をした。いつもいる人間が談話室にいないと寂しいかぎり。
小島君早くよくなって大部屋に戻ってきてください。みんな待っているよ。

2月22日 15日目
今日ついに退院の日が24日の午後に決まった。やっと長かったようで
短かった入院生活ともおさらばである。でも仲良くなった他の重病患者
さんの気持ちを考えると素直に喜べない気もする。みんな早くよくなって
ください。明日の夕方から病院の玄関ロビーで弦楽四重奏の演奏会が
ある。娘も病院に来て一緒に楽しむ予定。

さてさて、あの「おチンチン痛い痛い事件のおじいさん」の今日はというと
午後の8:00頃にまた一騒動あったようである。
ここからはおじいさんと同室の人から聞いた話。 
お ; おじいさん  看 ; 看護婦さん
なお人物名は仮名である。

おじいさんが枕もとのナースコールを突然押した。

看 ; 「ハーイ どなたですか??」
お ; 「・・・・」
看 ; 「どなたが呼ばれましたか??」
お ; 「・・・橋本」
看 ; 「どうされました??」
お ; 「お酒と付きだし」
看 ; 「・・・・・・」
看 ; 「それは ない!!」

2月23日 16日目
いよいよあと一晩寝たら退院である。長いようで短かった入院生活とも
さよならだ。最後の夜にふさわしく今夜は妻と子供たちとともに弦楽四重奏
を病院ロビーでたっぷりと楽しんだ。写真も撮ったのだがUSBフロッピーの
調子が悪いので退院してから載せることにしよう。

弦楽四重奏の夕べ

今回の入院では色々な面ですごく勉強になった。一番感じたことは、自分が
病気の時は自分が一番辛いように思っていたが、僕なんかよりもずーと・
ずーと辛い目にあっている人が、いくらでもいるということを知ったことである。
これからはなにか辛いことがあっても今回のことを思い出せばどんなことでも
我慢できると思う。明日からまた仕事にがんばろう。
このあたりで今回の入院日記の幕を閉じることにしよう。

最後に今回の入院でお世話になった宮本先生・坂尾先生・看護婦さん 
本当にありがとうございました。坂尾先生もう少し注射をうまくなってください。
そして入院患者の辻さん・小島君・吉村さんそして「おチンチン痛い痛い
事件のおじいさん」 等々楽しい話・話題ありがとうございました。
みんな早くよくなって下さい。

入院患者の皆さん

お世話になった看護婦さんたち

また検査に来たときには顔を見せますのでよろしく。

                              ・・・ 終 劇 ・・・

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